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  • 歴史まがいテレビの弊害
    歴史まがいテレビの弊害 誰の言葉か忘れたが、愚民教育は三つのSだと言う。スポーツ、セックス、スクリー ンである。誠に現代の日本にピッタリで言い得て妙である。少子化による人口減少対策、地球温暖化の影響で、急務の自然災害対策、全国にある、古くなった橋梁、トンネル、道路(国土交通省調査で22万箇所という)社会インフラの整備補修、侵略国家に急変した中国侵略(尖閣諸島)防止のための対策等々喫緊の課題が山積して...
  • 「朝鮮通信使の真実」の紹介 朝鮮通信使は友好使節ではない 事実上の朝貢使節だった 日本に帰化して13年、良質な元中国人、石 平 氏の渾身の一冊
    日本に帰化して13年、良質な元中国人、石 平 氏の渾身の一冊「朝鮮通信使の真実」の紹介 日本人を「羈縻」(きび)と見下した朝鮮人朝鮮通信使は友好使節ではない事実上の朝貢使節だった日本人に、美しい国土に、文化にも、日本で見るもの聞くものすべてに難癖をつけた通信使現在何かと問題の多い韓国だが、韓国が李氏朝鮮の時代には、日本に朝鮮通信使を派遣していた史実がある。この通信使は一体何の目的で日本にやってきたのだ...
  • 日本民族は「蛮族」ではない 「サンカ解釈の間違い」 百済人が唐国の傭兵となる 薩摩と琉球、唐国の関係
    日本民族は「蛮族」ではない「サンカ解釈の間違い」 百済人が唐国の傭兵となる薩摩と琉球、唐国の関係掲載の地図を見て頂ければ解るように、近頃何かと日本に対して問題を起こしている韓国の古代は三韓に分かれて、激しく対立していた歴史がある。 朝鮮半島の国家形成史を見ると、日本の弥生時代には、箕氏朝鮮が成立していた。ついで後述するが、馬韓、弁韓、辰韓と三韓時代を経て新羅ができ、次に高麗と続き日本の室町、戦国、江...
  • NHK大河放送「麒麟が来る」の考察
    NHK大河放送「麒麟が来る」の考察一月十九日、第一回の放送を観た。製作は池端俊策ということだが、彼は映画「復讐するは我にあり」や「楢山節考」などの名作を手掛けているのに、時代考証が全くなっていない。一つ一つ上げればきりがないので、ここでは何点かに絞って指摘したい。先ず、鎌倉や戦国時代、江戸時代でも武士の表道具は「槍」なのである。刀は首切りか、槍を打ち払うための「打ち刀」と呼ばれていて主武器ではない。...
  • 鉄火場から来た「初札」 生駒は悲しい女町 
    今はすっかり廃れてしまったが、東京でも昭和四十年代までは「鉄火場」というやくざの博打場が盛んだった。そこではサイコロの目を当てる単純な「丁半博打」の他に、玄人筋の客には、一般的な「猪鹿蝶」と異なる特殊な絵柄の花札を使う「手本引き」という複雑だが面白い勝負がなされていた。この際「花札の仕掛けは一切御座いません」という証明に、新しい花札の封を切って客に見せる新札のことを「初札」と云っていた。また、女を...
  •  「天皇陛下のお言葉」 綸言汗の如し 青春の意味
      青春の意味 「青春」という言葉は現代ではとても恰好の良い言葉だが、江戸時代においては この意味はまるで違うのである。 江戸時代まで各地にあった寺は、己の私有財産として奴隷の在庫表とも言うべきものを付けていた。これを「寺人別帳」という。 そして各寺には、春になって雪解けの季節になると、大勢の人買いが里から奴隷を買いに やってくる。  そうすると寺の坊主共は「田吾作の娘は十三になるから今年は...
  • 芋の煮えたの御存じなく 『鰯の頭も信心柄(からではなく、がらが正しい)』 『五木ひろしが売れた訳』 『五木の子守歌』の謎
    イロハ歌留多から見える日本史の真実『芋の煮えたの御存じなく』『鰯の頭も信心柄(からではなく、がらが正しい)』『五木ひろしが売れた訳』『五木の子守歌』の謎芋の煮えたの・・・・・この唄は、八代将軍吉宗が、芋学者と呼ばれる青木昆陽に命じ、小石川薬園で栽培した種芋を関八州に栽培させ、ついで東北から西国ににも広めさせた。 処が享保十七年夏から、関西から九州へかけて、イナゴの大群が発生して、収穫前の稲穂を殆んど...
  • 山本五十六
    山本五十六先日、映画の山本五十六を観ました。主役の役所はそれなりの演技で無難に演じていました。しかし脚本は山本を美化しすぎ、形而上的に捉えすぎている。 故人となったが、阿川弘之著「山本五十六」の方が秀逸といえるだろう。 この山本を演じた役者は私の知る限り歴代8人居り、時系列では以下となる。 大河内伝次郎、佐分利信、藤田進、三船敏郎、小林桂樹、古谷一行、丹波哲郎、役所広司。 一番はまっていたの...
  • 細川ガラシャ殺しの秘密 (ガラシャは明智光秀の三女で玉子)
     細川ガラシャ殺しの秘密(ガラシャは明智光秀の三女で玉子) ガラシャことお玉は、当時、長岡与一郎といっていた、後の細川忠興の嫁となったが、天性まるで玉をあざむくような麗質だったゆえ、忠興は二なき者として熱愛した、といわれている。 それゆえ本能寺の変のあった時も、彼女に災いが及んではと三戸野(みとの)に秘かに匿し、秀吉に対して命乞いをした。そこで、その情にほだされ、「明智光秀の娘とはいえ、そこもとへ嫁...
  • 国定忠治はサンカ 日本一の大親分 大前田英五郎 箱根の関所は 出入国管理所だった ホステスの源氏名は騎馬民族の専売
    国定忠治はサンカ日本一の大親分 大前田英五郎箱根の関所は 出入国管理所だったホステスの源氏名は騎馬民族の専売国定忠治がサンカだったという裏づけできる証拠はある。まず、上州関戸の関所に詰めていた捕り方連中に、捕物術を指南していたのは、馬庭念流の樋口道場である。この道場で六尺棒で相手を打ちのめす訳だが、棒術の稽古をつけ、捕物の時には出動させていたのが国定村の忠治や子分たちだった。しかしある時、関所の捕...

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布衣草莽

このブログの全ての記事は、俗説、通説とは大きく違う。だからこれを「信じられぬ歴史」とし、俗説、通説を天壌無窮のものとするのは自由である。
しかし、調べられる限りの史料、資料を読み解き、出典文献、確定史料は全てあげているばかりでなく、原文その儘を誤解のないよう引用している箇所もある。
だから、もし意外性に驚かれても、疑問をもたれる向きは、どれでも抜き取りで参考資料とつき合わせて確かめて頂きたい。
つまり、これは本当は意外史でも何でもなく、此方のほうこそ正しい真実を徹底的に調べ上げているのである。どうか安心して読んで頂きい。