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  • 日本奴隷史の考察 奴長とは 奴隷求籍帳とは 大宝律令は中国製 幡随院長兵衛は寺奴隷
    日本奴隷史の考察奴長とは奴隷求籍帳とは学校歴史では、日本に奴隷は居なかった事になっている。だが奴隷は厳然として存在していたのである。アメリカと違って、黒人をアフリカ大陸から狩り集めてきて奴隷にしたのと違い、 日本先住民が一握りの、大陸(中国)や朝鮮(百済)勢力に奴隷にされていたという違いはある。 昔は奴隷とは言わず「奴(ど)」とか「奴(やっこ)」と呼んでいたので、現在でも「ヤッコさんは辛いね」と、 江戸端唄...
  • 厠(かわや)「便所」談義 生類憐みの令の真実 新田男爵によってバラされた「徳川綱吉」の実像
    厠(かわや)「便所」談義生類憐みの令の真実新田男爵によってバラされた「徳川綱吉」の実像現在、便所のことは「トイレ」とか「WC」と、アメリカナイズされた気取った呼称が定着している。だが昭和四十年代までは、便所、カワヤが普通だった。余談だが、トイレという言葉が流行した頃、水商売の女たちは客に対して「オトイレに行ってきます」などと言っていた。音入れ(録音機)をもじって「ちょっと録音してきます」と訳の分からぬこ...
  • 太田道灌と江戸城 「箕のひとつだに、出せばよろしく」
      太田道灌と江戸城 「箕のひとつだに、出せばよろしく」    これもサンカの言い伝えである。 現在では「身の一つだに、無きぞ悲しき」と誤って伝えられているが 「ミノひとつだに、出せばよろしく」が正しい。 江戸時代、浅草弾佐衛門は、四つと呼ばれた騎馬民族系統の頭梁だったが、 一般や武士階級からは非人と呼ばれ、蔑まれていた。そしてこの弾家は騎馬系の者達から、一人当たり年二朱の...
  • 豊臣秀吉は猿でない
    豊臣秀吉は猿でない「うん、うぬは猿そっくりじゃな。まこと珍妙なつらじゃ。よし、今日よりは、猿めとよんでつかわそうかい」「はい、はい、召し使うてさえ頂けるものなら、てまえは猿でもなんでも、結構にござります」と信長に奉公の初めから、いと気軽に、「さるめ、さるめ」といわれた事に、あらゆる書にも『太閤記』にもされている。しかし、『両朝平壌録』という朝鮮の役のときに向こうから交渉にきた者の、帰国後の見聞録と...
  • イロハ歌留多から見える日本史の真実 『五木ひろしが売れた訳』 『五木の子守歌』の謎 『鰯の頭も信心柄(からではなく、がらが正しい)』
    イロハ歌留多から見える日本史の真実『芋の煮えたの御存じなく』『鰯の頭も信心柄(からではなく、がらが正しい)』『五木ひろしが売れた訳』『五木の子守歌』の謎芋の煮えたの・・・・・この唄は、八代将軍吉宗が、芋学者と呼ばれる青木昆陽に命じ、小石川薬園で栽培した種芋を関八州に栽培させ、ついで東北から西国ににも広めさせた。 処が享保十七年夏から、関西から九州へかけて、イナゴの大群が発生して、収穫前の稲穂を殆んど...
  • サンカ生活体験記 第三章 吉良上野介の妻 三姫 夫馬小太郎 五木 三角寛
              サンカ生活体験記 第三章吉良上野介の妻 三姫上杉家夫馬小太郎五木三角寛(7)ヰツキ ヰツキは、半永住の「ササメイホリ」のことである。これは篠笹を厚く立てて、三方を囲んで、その先を丸屋根にして、中にコモを張る。これを「タチゴモ」という。これは神代から、天の火明命の一族が、蝮や「赤士刺(ツチカミ)」とよぶサソリを防ぐために考案して作ったものである...
  • イロハ歌留多から見える「日本史」の真実 『のれんにもたれる』「野火山火、三べん廻って見て廻れ」
    イロハ歌留多から見える「日本史」の真実『のれんにもたれる』                                            関西の商家から出たと想われる『のれんにもたれる』という唄が在る。関西も商家が多く、その商家では、店の暖簾を守ることが、御店にとっては全生命であり、のれんを下ろすといえば倒産つまり潰れたことになるのである。これはヤクザの代紋と一緒で、店主はじめ末の丁稚小僧...
  • 新編 真田風雲録 第一話   真田家と徳川家発祥の地 真田幸村を討ったのは誰だ
         真田家と徳川家発祥の地週間ポスト 1月30日号に、NHK大河ドラマ『真田丸』の好調を受け 松代真田家14代当主真田幸俊氏と徳川宗家19代徳川家広氏との 対談記事が載っていた。  文中、徳川家発祥の地は何処か?という質問に対して、 徳川家広氏は次のように答えていた。  「三河(愛知県)の奥の奥の方。実はウチは(なんちゃつて源氏)でして、後に(源氏の氏族だけがなれると言われていた)征夷大将軍...
  •  真説  弥次喜多道中記 弥次喜多の二人は女遊びはしなかった
     真説   弥次喜多道中記弥次喜多の二人は女遊びはしなかった   北条と書いてキタジョウと読ませる苗字は多い。それ以外でもキタヤマ、キタガワと北を、「キタ」と読ませるしか無いような姓ばか りで、北をホと発音するのはこの家名しかない。なにしろ唐の國の人間が持ち込んできたのに、故意に「漢」の時代に到来したものの如く錯覚を与えるような「漢字」という名称になっている。 それで押しつけられるよ...
  • サンカ生活体験記 第二章 土建業界はシノガラ
    サンカ生活体験記 第二章      土建業界はシノガラ 山から山への彼らの天敵は大規模な官憲の狩りこみ以外は、サソリとマムシだったらしい。すっかり彼らに獲り尽されて今では沖縄にしか、この毒蛇は生息していないが、各国ごとで、タヂヒベとよぶマムシ捕りは先発隊の大人(オビト)のごとき存在で、これは三角寛先生前掲書の94Pにも昭和初年に実在していた代表的な蛇捕りの彼らの名前の一覧表がず...

プロフィール

布衣草莽

このブログの全ての記事は、俗説、通説とは大きく違う。だからこれを「信じられぬ歴史」とし、俗説、通説を天壌無窮のものとするのは自由である。
しかし、調べられる限りの史料、資料を読み解き、出典文献、確定史料は全てあげているばかりでなく、原文その儘を誤解のないよう引用している箇所もある。
だから、もし意外性に驚かれても、疑問をもたれる向きは、どれでも抜き取りで参考資料とつき合わせて確かめて頂きたい。
つまり、これは本当は意外史でも何でもなく、此方のほうこそ正しい真実を徹底的に調べ上げているのである。どうか安心して読んで頂きい。