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  • サンカ生活体験記 序章
    サンカ生活体験記 序章晩年の八切先生は情けないマスコミに黙殺され続け、完全に干されておりました。がしかし、市井に引きこもってからも自著の出版活動に専心し、八切史観にかける情熱は少しも衰えることなく、萎えた右手に鉛筆を縛って執筆でした。「サンカの歴史」の”生きざま死にざま”にはこの間の苦労が書かれてますが、先生の人生は波乱万丈でした。日本開闢以来の「日本原住民史」の確立を成し遂げた先生でしたが、その晩...
  • 渡辺崋山の門弟メキシコへ渡る その名を佐波多三平という
     渡辺崋山の門弟メキシコへ渡るその名を佐波多三平という渡辺は号を崋山と言い、本名は登という。渡辺の家は田原藩三宅家一万二千石の代々の家来で、登も寛政五年九月に江戸藩邸で生まれている。そして文化十一年には納戸役になり、父の定通の死後は家禄八十石を継いだ。その後文政九年に番頭になり側用人を兼ね、天保三年五月からは家老になり百石の加増をの他に、役扶持二十石がついて二百石となった。二百石というのは他家では...
  • 日本韓国の歴史認識の誤り 実証主義的歴史教育が必要
    日本韓国の歴史認識の誤り実証主義的歴史教育が必要日本に、仏教をもって、この列島へ入ってきた外来者の群れが、既住していた日本原住民を屠って、完全にここに彼らの勢力を築きあげたのは〈続日本紀〉によれば、天平時代が終ったあと、西暦七八一年となっている。(この年は、日本年号では、天応辛酉(てんのうしんせい)とよばれ、元日に改元され、その翌年から延暦元年になってしまうような年であって、この年に英邁な桓武帝が即...
  • 徳川家の三河譜代は居なかった
    徳川家の三河譜代は居なかった  以前ニフティの歴史会議室でこの説を発表したところ、通俗説の勉強家や、歴史畑の住人らしき人たちに、随分食いつかれた。 文中にあるように「三河風土記」や「三河後風土記」は、源内が嘘八百で書き飛ばした膨大な虚実の書を史料として信じ込んでいる人が多く、「そんな事は何処にも書いてなく、何々にはこう書いてあるから、嘘だ」と反論される。  しかし、江戸時代に建部賢明が...
  • 愛は襤褸の如きものか
    愛は襤褸の如きものか 過日、若い娘さんたちと色々話す機会があった。みな18~20歳でそれぞれ個性的で魅力的な女性である。 新人類だ、アホバカOL、イケイケギャルだと、彼女たちの俗称は芳しくない。 実際、欲望と虚栄、損得と感性だけで生きているような手合いも多い昨今である。欺瞞の愛や、陋劣な日常を送る唾棄すべき女も目に付く。今や21世紀、日本の政治も経済も弱りきり、拝金主義が跋扈し、世界は環境...
  • サンカの生態 信長公記は前田家のお陰 サンカ女郎のストライキ(昭和には映画にもなった)
    サンカの生態信長公記は前田家のお陰サンカ女郎のストライキ(昭和には映画にもなった)当ブログでは「サンカ」についての記事を載せている。しかし、どうも私の文章が悪いためか、理解不足の部分も多いようである。彼らの子孫は現在も多く、日本人の二割は占めていて、その大きな特徴は「子沢山」の家庭である。少子高齢化の現在の日本では、誠に貴重な人たちで、他の家庭もこうであって欲しいと切に願うものである。そして彼らは決...

プロフィール

布衣草莽

このブログの全ての記事は、俗説、通説とは大きく違う。だからこれを「信じられぬ歴史」とし、俗説、通説を天壌無窮のものとするのは自由である。
しかし、調べられる限りの史料、資料を読み解き、出典文献、確定史料は全てあげているばかりでなく、原文その儘を誤解のないよう引用している箇所もある。
だから、もし意外性に驚かれても、疑問をもたれる向きは、どれでも抜き取りで参考資料とつき合わせて確かめて頂きたい。
つまり、これは本当は意外史でも何でもなく、此方のほうこそ正しい真実を徹底的に調べ上げているのである。どうか安心して読んで頂きい。