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  • 高松塚古墳はカマクラ(住居)だった。桃源郷が藤原京 松本清張の説は卓越していた 漢字の当て字に惑わされてはいけない
             高松塚古墳はカマクラ(住居)だった。 日本は万世一系の国だが、株主総会で役員が変るごとく、王朝も天(あま)の朝は天照大神を最後に、崇神、仁徳、継体と変遷がある。さて、高松塚古墳が作られたとみられる飛鳥朝の欽明、推古期は、六世紀の後半から七世紀へかけてである。その欽明朝は、継体帝第四子天国排開広尊だが、もちろん上にアマの字がついても、これは『日本書紀...
  • タイ民族の日本移住
     今でも北海道のアイヌ系の人が、内地人のことを、 「シャモ(和人)」とよんだり、また今でも関西の河内あたりで、蹴合いに用いる闘鶏を、やはり「シャモ」と称し、また吾々の御飯をもりつけする板片を、「シャモジ」とよぶのは、何か関連があってなのか、どうも引っ掛かるものがあるようである。  梵語の「シャモ」が、日本の仏教用語では、「沙門」となり、「桑門」同様に出家の僧のことをさすから関係があるとする説もあるが...
  • 日本美少年の系譜 森蘭丸は容貌魁偉 天草四郎は美少年ではない 忠臣蔵の大石主税は反っ歯だった 黒駒の勝蔵は勤王の大忠臣だった 江戸は死して江戸っ子を残す
          日本美少年の系譜◎天草四郎は美少年ではない◎森蘭丸は容貌魁偉◎忠臣蔵の大石主税は反っ歯だった◎黒駒の勝蔵は勤王の大忠臣だった現在赤穂浪士を有名にしたのは何かというと、江戸時代は芝居であり、明治に入ってからは桃中軒雲右衛門の浪花節である。 一般的に判りやすく文字で広まったのは、随分これは遅くて明治四十年以降のことで、浪花節や芝居で広まりそれから無慮三百余の本が出たのである。...
  • 名古屋不思議考 愛知県史 太閤秀吉
                「愛知県史」                                 豊臣秀吉 徳川家康                  児島高徳と三宅氏             徳川家康と戦った三宅氏戦国時代末期、三河の...
  • 今年で三島由紀夫没後48年になる。壮烈な切腹をなぜ選んだのか
    今年で三島由紀夫没後48年になる。 先日テレビで放映されていたが、何故彼のような優れた才能があのような 壮絶な死を選んだのかの分析は甘く、まるで本質を突いていなかた。また、故三島由紀夫氏の遺書が発表されてもいる。私たちの年代の男にとっては 氏の市ガ谷での割腹自殺(実際の死因は日本刀による斬首だったが)の報道に 驚愕したもので、その遺書を今読み返すと氏の苦衷が読み取れ、心が痛む。 ...
  • 日本奴隷史 白銀海岸は日本の島原 天草四郎 天正少年使節
    アフリカには有名な「黄金海岸」がある。 此処は何も金が採れたわけでも、それを積み出したからと付いた名称ではない。  それは大陸奥地から捕らえられ、連れられてきた黒人の男女が、一かけらの黄金か、硝子の玉と交換に、遠いアメリカ大陸に売られていった、黒人奴隷の一大積み出し地だったゆえ、その名が伝わっているのである。これは映画の「ルーツ」でも今は良く知られている。だが「サイド・オブ・シルバー」つま...
  • 源氏物語はポルノだった 紫式部 清少納言とは しゃもじの由来
    以前、尼さん作家による「源氏物語」が出版され、売れ行きも好調だったという。さらに女流マンガ家によるマンガ本も大変な売れ行きだという。両方とも「女の哀れ」に主眼を於いているきらいがあるのだが、それが又受けているのだろう。さらに最近の新聞広告では【源氏大学”99】と銘打って、受講料14000円だという。講師には大学教授、講師、歌人漫画家などだか゜女が多い。また「源氏物語論」において、ある女流評論家は、「読後...
  • 急がれる日本独立 くぼの民人は何か 南北朝対立の実態
    (以下の文、誤字脱字は御容赦願いたい)<物理呼称>という書物には、近江言葉で、窪とか久保とされている。これは関東の「谷」と同義語である。つまり、日本原住民が捕らえられてきて、彼ら御先祖様たちが逃げぬように窪地へ入れられ監視されていたのが語源らしい。 日本は大東亜戦争でアメリカに敗戦したが、今では独立国だと政府や大新聞では報道していても、首相が代わるたび、渡米して何も聞いて貰えず唯ひたすら命令され...
  • 新説 大阪城物語
    岩波新書に『大坂城』というのがある。筆者岡本良一は大坂城に四分の一世紀以上奉職していたひとだけに、こと大坂城に関しては、 『大坂城誌』を明治三十二年に刊行した小野清にもまさる一大労作で、これは史学的見地からだけではなく、日本の土木工学の近世工法の開発技術の徹底した研究書ともいえる。  これだけの内容が非歴史家の手によるというのも驚きだが、なにしろ石山本願寺の頃の大坂御城の時から筆を起こして、  「焼...
  • 日本人は馬鹿と阿呆の絡み合い 阿呆とバカの由来
    故、鶴田浩二の歌に「この世は馬鹿と阿保の絡み合い、何から何まで真っ暗闇だ」と、誠に悲しく退廃的な一曲がある。 日本人の過去の怨嗟を表していて誠に示唆的である。さて、この言葉は普通、阿房とかアホの三太等と使用している。九州ではアホの房太という。ザイゴの金太郎ともいう。女人へはメンタ、バイタ(売女)、カズメとよぶ蔑称に使われている。 一方の「馬鹿」というのも、馬も鹿も四つ足の獣ゆえ、騎馬民族への侮蔑用語な...

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布衣草莽

このブログの全ての記事は、俗説、通説とは大きく違う。だからこれを「信じられぬ歴史」とし、俗説、通説を天壌無窮のものとするのは自由である。
しかし、調べられる限りの史料、資料を読み解き、出典文献、確定史料は全てあげているばかりでなく、原文その儘を誤解のないよう引用している箇所もある。
だから、もし意外性に驚かれても、疑問をもたれる向きは、どれでも抜き取りで参考資料とつき合わせて確かめて頂きたい。
つまり、これは本当は意外史でも何でもなく、此方のほうこそ正しい真実を徹底的に調べ上げているのである。どうか安心して読んで頂きい。